2007年02月05日

数回が1回になって最終回

kamibayashi2.jpg
 まさか、1月中に更新が全く無いとは思わなかったでしょう?僕も思いませんでした。一ヶ月半ぶり、かなりなご無沙汰です!主務ブログなのにもう主務じゃない、FIGHTERS今年卒業の神林です。大学には残ります。ホンマごめん!→親
 ここまで更新が無かった訳。書きかけて書き直すこと十数回、提出後のボツ1回。なんかイメージが違うんですよ、引退してから。「お題」のヒントをもらったりもしたんですけど、自分で読み返してしっくりこないんでボツにしたり。そんなことを繰り返しつつ今に至るわけです。もし、待ってくださっていた方がいらしたら、すみませんでした。
 ということで、なんでそんなに書けなかったのか。気が付いたのはほんの数日前(もう2月でしたね)なんですが、要は「意図して向かうところが無い」と。少なくとも、僕が何かしらの意志なり意図を持ってチームについて書いてしまうと、今必死にチームを作ってる新4年生に干渉してしまうような気がして。基本的に、これまでは「今年のFIGHTERSをこれからどうするのか」という視点で書いてきた訳ですけど、それはすでに持ち得ないわけです。
 そういう意味で、自分自身がある程度好きなようにチームを動かしながら書いていた前回よりも書く内容が制限されてしまうように思うんです。気付いたら寂しいですね、本当に。改めて「あ、もう終わってるんだ」と気付かされるようで。まあ、正直な話、安心感もあるんですが。
 じゃあ、何を書こう、と。1年の振り返りをまとめようと何度も試みたんですけど、反省と後悔がジャンジャン溢れてきてとてもここでお話できる代物ではなくなってしまいました。
 もちろん後悔だけなのかと言われるとそうではないんですが、文章にまとめるとなぜかそっちからしか出てこない。もう性格ですね、仕方ないんです(笑)。
 要は、FIGHTERSっていうのは引退することでこれだけ視点が変わるチームな訳です。4年生が中心になって、現役の部員が主体になって、自分たちで考えてチームを進めていく。OBはその手助けをする、と。
 そういえば先週の合同送別会で貰ったボールの寄せ書きに「金は出すけど口は出さないOBになってください」ってた書いてくれていた新4年生のマネージャーがいましたけど、別に口出さないから!(少なくとも今年は金も出せないけどねっ!!)今年は溢れ出る反省と後悔を投げかけながらチーム手伝うくらいしかできないですから。それもいらなかったらいつでも言ってください→ボールにそれ書いた人
 まあ後悔ばっかり綴ってもしょうがないって言うのはその通りなので一つだけ。
 去年の今頃、主体的になって動けていたかな?ということを考えると、どう考えてもそうではなかったこと。要は、4年生にもなって、「やりたいこと」を思い切りやれていなかったこと。それは、間違いなくこの4年間で一番の後悔ですね、本当に悔やんでも悔やみきれない…。
 現役が自分で考えて進めるとは言っても、決して放置な訳ではなく、監督やコーチは自らの経験を基に「アドバイス」として問題提起や方法論を与えてくれることもあります。時にはOBの方がそのような話をしてくださることもあります。去年は、それを「指示」であるかのように受け取ってしまったんですね。
 それはあくまで現役の側で取捨選択すれば良いのであって、もちろん説明が必要なことはあるけれども、何も気を使う必要はないわけです。単に無視したらそれは当然失礼にあたりますけど、議論することもできる訳ですし、現役の部員にはその権利が保証されている。それは最大限活かさないといけないと思うんです。それができるようになるまで、去年はこの時点からさらに数ヶ月を要してしまいました。
 さらに言うと、だからと言って自分達の考えだけでチームを進めるのも決して得ではないと思います。監督・コーチやOBだけじゃなく、周りを見回したらいろいろな材料が転がっているので、そういうものをチームに取り込めないかを考えてみたら、特に4年生の1年間はかなり楽しめる、と思います。僕はその余裕がなかなか持てなかった。それが残念かなぁ、と思うわけです。
 去年の春シーズン中はそのような試行錯誤を繰り返しているうちに同志社・法政・日大の1引き分け・2連敗があったりといろいろなご心配をおかけしたと思うのですが、今振り返ったらあそこで変に勝って過信するよりも、それで色々なことを考えられたのは良かったと思います。
 これからも、去年の僕らみたいにスタートで躓いたり、チームの方向性がふらついたりで春シーズン中に結果が出ない年はあるかもしれません(ひょっとすると毎年かもしれません)。でも、それがその年の「4年生のFIGHTERS」を作る過程だと思って気長に見ていただければと思います。
 この1年間、時には現実問題との間で半分パニックを起こしたり、内容を部員にネタにされたりしながらも、ここに載せる原稿を書きながら自分の考えをまとめたり、コメント欄に励まされたりしてきました。面倒くさく思ったりしながらも、書き始めたらついつい長くなったりしていました。
 1年間本当にありがとうございました。読み辛いところもあったと思いますし、僕自身が今読み返して「何を書いてるんだ」と思う原稿も正直ありますが、書いていて良かったかなと思います。
 ホームページ担当者によるとまた現役の誰かがこのようなコンテンツを引き継ぐ予定だそうですので、引き続きFIGHTERSとホームページをよろしくお願いします。
 来年は正月明けまで現役で書けるといいね!!→来年の担当者(誰がやるの?)

2006年12月18日

また2点差

 まずご報告。引退しました。
 43対45。春から40点差を詰めたけれども、まだ2点足りませんでした。
 ここ数年の立命戦に続いての2点差という結果に何らかの理由があるのか、それともただの偶然なのかは今は分からないけれど、それは2007年のFIGHTERSに追求してもらうことにします。
 甲子園で勝つ、というチーム目標を達成できなかったことに対して納得はしていないけれど、甲子園の芝で寝る、という個人的な夢は叶えることができました。
 ともあれ、2006FIGHTERSを支え、後押ししてくださった皆さん、本当にありがとうございました。
 細かいことやシーズン中に書けなかった(今からなら書ける)ことは、これから後継者が決まるまでに何回か上げていきたいと思います。
 引き続きあと何回か、よろしくお願いします。

2006年12月04日

西宮でのホームゲームとはいえども…

 立命戦からもう1週間が経ってしまいました…。この1週間は本当に早かった。
 昨日は甲子園ボウルに関して2つ動きがありました。
==========
@甲子園ボウルの相手が「法政大学TOMAHAWKS」に決まりました。関東決勝のCLASH BOWLで慶應大学に49対13で勝利した模様です。
A関西学院中学部が京阪神地区予選で優勝して甲子園ボウル出場を決めました。甲子園ボウルでは久しぶりに中学部との兄弟(?)出場となります。 
==========
 やはり、この1週間は「甲子園ボウル」を意識せずにはいられませんでした。
 立命館に勝った、ということはかなり早い段階で切り替えられたと思います。このチームのスタート時点から言い続けている「甲子園で勝つ」という目標のためにも、いつまでも余韻に浸っていられない、ということは、立命館戦直後から口にしてきた「確認事項」でした。
 ただ、明らかにこの1週間の過ごし方は立命館戦をはじめとしたリーグ戦の準備とは全く空気が変わっていました。
 「燃え尽き」とは全く違うのです。ただ、「甲子園」というものに対して構えてしまっている気がするのです。
 立命館戦の勝因は、メンタル的な面で言えば試合で行うことや起こるべき状況を全て練習でシミュレーションして、そのシミュレーション通りにゲームができたこと(全てとは言わないにしてもその要素が多かったこと)が大きかったのだと思います。
 そのことは、法政を前にしても変わらないはずです。僕らは、その面での準備ができていなければ、何もできずに終ってしまうでしょう。
 法政は、1992年から15回中13回も甲子園ボウルに出場している常連で、もう毎年の恒例行事として試合に臨んでくるでしょう。「甲子園」という会場をあまりにも意識しすぎていては、大学と同じ市内での試合であろうがアウェーの試合と同じです。また、「甲子園ボウル」というゲームに呑まれてしまっても同じことです。
 甲子園でこれまで3年連続試合をしてきた法政と、現役には経験のない関学。普通にやればどちらが「普通に」試合をできるかは言うまでもないことです。僕らは、それらに打ち勝って試合に勝とうと思うからには、見るべきものは自分がやり遂げるべき役割だけなのではないでしょうか。
 要は、ここまで作ってきた2006FIGHTERSなりの戦い方しかできない、ということを全員がわかってやりきれるかだけなんですけどね。変に欲を出すと…ね。まぁ、あえて書きませんが(笑)

 第61回毎日甲子園ボウル・法政大学戦まで「あと13日」(12月4日現在)

2006年11月29日

バタバタしております

 更新が遅くなり、申し訳ありません。すでに前回分のコメントにお祝いのメッセージをたくさんいただいていて、ありがたい限りです。初めての甲子園準備に何をしたら良いものやら、要領のつかめなさに通常比で1,5倍ほどバタバタしております。(いつも要領をつかめていないという突っ込みは受け付けません。あしからず。)
 おかげさまで、16対14で立命館大学に勝利することができました。
 そして、初めて、甲子園の芝を踏めることになりました!!
 雨の中、最上段から最前列までびっしりと詰めかけてくださったみなさん、本当にありがとうございました。ひょっとするとみなさんの大声援が、FIGHTERSを2点分余計に後押ししてくれたのかも知れません。
サイドラインでは、時計が「0:00」を指すまで全く勝てる気がしていませんでした。いろいろな場面で、「ついていた」と思えることがありました。「ついていたおかげで勝てた」ということは間違いなく事実です。まぁそうは言いつつも、試合が始まったら負ける気も全然していなかったのですが。
 僕がこの試合に臨むにあたって、サイドラインに持ち込んだ想いはたった一つでした。
 「部員全員が、目の前の1プレー1プレーの自分の役割に最大限集中したサイドラインを作り上げること」
 この目標は、この試合の性格を考えれば、自然とある程度のレベルは放っておいても達成できるものだとは思います。事実、ウォーミングアップ開始の瞬間から、今までのゲームよりも1段も2段も上の集中度を保っていました。
 でも、前半はまだ良いプレーには浮き上がって良くないプレーには沈んでしまい、「最大の」集中度には達していない状況でした。とあるアシスタントコーチにも指摘を受けました。「今のままやったら負けるで」と。
 そのコーチからも「しっかり締めなおしといた方がええぞ」と言われ、(その一言が最後の背中を押してくれたことは確かなのですが)僕はほぼ同時進行であることをする決意を固めていました。
 それは、ハーフタイムの「最初」に全員を集めて後半に向けての意識の確認の話をする、ということでした。プレーに関しての確認のミーティングをする前にそのような話をした方がよりハーフタイム明けの集中度が変わってくるのではないかということは前々から考えていたことではありました。しかし、後半開始前には何度かそのような話をしたことはあったものの、このタイミングで全員を集めるということはプレーのミーティングを邪魔してしまう気がしてずっと二の足を踏んでいました。
 第3節の京大戦でもそうでした。2年前に同じような点差を逆転されたという事実をもう一度確認するべきだと思いつつ、結局は後半開始前にそれを確認することとなりした。
 あくまで結果論でしかありませんが、あの試合の後半最初の時点では一時京大に流れが行きかけることとなりました。あの試合に関してはあまり不満も無くかなり良い雰囲気で試合を終えたのですが、そのことは大きな後悔として僕の中に残っていました。
 絶対に同じ後悔を繰り返したくはなかった。だから、今回だけは例えコーチの邪魔になっても少しだけ時間をもらって話をさせてもらうことに決めました。(もちろん、他の会場と違ってスポッターのコーチがミーティングに参加するまで時間がかかるという計算もありましたが…)。
 それが功を奏したのか、それとも部員各々が試合の雰囲気に慣れたのかは分かりませんが、後半に入ってからの1プレー1プレーの集中度は、僕が今まで参加してきたどのゲームよりも高かった気がします。良いプレーも良くないプレーも、しっかりと切り替えて次のプレーに向かうことができていました。
 下級生が次のプレーへの集中を叫び続けてくれたことも非常に大きかったと思います。上級生だけで勝てるほど、楽な試合ではありませんでした。柏木がどこかで話していた通り、下級生も含めた全員が原動力になっている強みを感じる象徴的な事実でした。
 今年のイヤーブックの「私の癒し」の欄に書いた、「サイドラインが一つになる瞬間」を感じられた試合でした。もっとも、いくら癒しだからと言ってもそれ相応にかなりの疲労も残すのですが。
 でも、次の甲子園も勝とうと思ったら、そのような集中したサイドラインを作ることが大前提になります。そのようなサイドラインで最高の試合を作り上げるべく、拾った3週間の命を生き抜きたいと思います。
 また3週間後の甲子園でも、盛大なご声援を是非ともお願いします!!

 甲子園ボウル(対戦相手未定)まで、「あと18日」(11月29日現在)

2006年11月17日

後はもう…

 ご無沙汰しています。
 同志社戦の内容については特に書きません。結果としては勝てたのでとりあえずOKということで。

 特別忙しいという訳でもないのですが、更新が空いてしまいました。あえて書かなかった訳ではないんです。ただ、何を書けば良いのかが分からなかっただけなんです。
 春から一貫して、2006年のFIGHTERSを最終的にどのような状態で「Finishする」のかを考え、その過程を僕なりにまとめて書いてきましたが、同志社戦前辺りからはもう、「結果」を通じてしか成果が見えない時期に入ってしまいました。
 今のFIGHTERSがBESTの状態だとは決して思いません。しかし、悪いチームだとも思いません。課題が課題のまま残る部分もあり、一方、改善した部分もあります。ただ、一つ一つ挙げていく意味すら薄くなってきました。良くなるも悪くなるも、僕を含めた部員各々がチーム像を明確に描けるか否か、そして、そのチーム像に沿って動けるかどうか次第。何が良いとか、何が悪いとか、そのようなことを分析することは、もう意味を持ちません。
 僕も、このスペースに何を書き込むのか考えながらチームを見渡すことで、一つ外から見たチームの全体像をより明確に掴むことができたと思います。ただ、もうこれからはチームの真ん中に潜り込んでいきたいし、いかなければならない時期に来たと感じています。
 あとはもう、全員で突っ走るだけ。見てくれや評判なんてどうでもいいです。
 
 次の更新は、おそらく立命戦後になるでしょう。
 立命戦がどのような試合になるのか、今の段階では全く分かりませんが、次の更新ではどのようにFIGHTERSが立命戦を迎え、どのように戦ったのか、書くことができればと思います。もちろん、最後に次戦へのカウントダウンを添えて…。

リーグ最終戦 立命館大学戦まで「あと9日」(11月17日現在)

2006年10月30日

「できるなら始めからやれや!」

 関大戦、本当に精神的にきつい試合でした。本当に勝ててよかった!
 サイドラインから見る限りはもっと早くから差をつけられるような試合内容に見えたんですけどね。結果的には三発(ロングTD×3)食らって3Qの途中まで同点。その状況は後半に入っても変わらず、4Qに入ってからやっと点差が開いて最終的には34対21。関大戦は3年前の敗戦の思い出もあるので、あの時の再現になるような予感すら脳裏をかすめました、本当に。毎回こんな展開の試合が続いたら痩せてしまいますね。僕は最近太り気味なので別に気にしませんが。
 この試合は、僕らの典型的な負けパターンの試合でしたね。少なくとも、3年前と同じその入り口にまで、足を踏み入れていました。
 決して力負けするわけでなく、対処法もはっきりしているのに、何故か噛み合わない。点差が開かない。逆にいつの間にか点差をつけられる。そのうち時間が無くなってチーム全体が焦りだす。空回りしだす。そして…いつの間にか、負けている。
 このようなパターンに入りかけたら、そこから抜け出そうとしたらダメなんです。このパターンから抜け出そうと意識すればするほど、焦って浮き足立って、ドツボにはまっていくんです。アリ地獄みたいなものですね。
 このようなパターンに入っても無視するしかない、と僕は思っています。雰囲気が良かろうが悪かろうが、モメンタムがこちらに来ようがあちらに行こうが、目の前にある自分のすべきことに集中するしかないんです。当たり前なことなのですが、これしかないですね、実感として。これは、僕がこの春までの数々の敗戦から学んだことです。
 しかし、この試合のFIGHTERS(のサイドライン)は、前半はこのことが全くできていなかった。けれども、後半はこのことがかなりできてきた。このことが前半と後半の差になったような気がします。もちろん、コーチや選手のアジャストが上手くいったことも大いにあるのでしょうが、前後半ではそれぞれ全く別なチームであったかのような感が否めませんでした。平たく言ってしまえば、前半は「観客」、後半は「チームの構成員」と形容できるような差でしょうか。
 前半は、本当に情けないことですが、みんなバラバラでした。みんな頭は動いていたんでしょうけど、それが全くチームに反映されていない状態でした。それが、ハーフタイムに全員の尻に火でも点いたかのように変わりました。全員がフィールドやハドルに向かって何かしらの役割を果たしている、理想とする状態にやっと近づいてきました。活気も集中度も、まちがいなく後半の方がずっと高かったです。
 そういう意味では、この試合で得られたものはとても大きかったと思います。あとは、これを「最大瞬間風速」で終わらせるのではなく、「普通の状態」でもそうあることができるように、この試合の最高の状態が次の試合の最低の状態であるように、しっかりと慣らしていくことだけ。それをそれなりの水準で体験できたことはとても良かったし、この試合については前向きに捉えていきたいと思います。もっとも、後ろを向いている余裕など無いだけなのはもちろん、昨日勝てたからこそそう言えるというだけなんですけどね…。
 もっとも、このような状態でいなければならないということと、そうでなければ痛い目を見るということは、今までもあらゆる場面であらゆる人に言われ続け、仲間内でも言ってきたはずです。それでもいまだにこのような状態にいるということに、「尻に火が点かなできひんのかい!」「できるなら最初からやらんかい!」と言う声が聞こえてきそうです。返す言葉もありません。
 この先は春引き分けの同志社に、もう4年間(実質的に)勝っていない立命館。今まで以上にタイトに試合になるのは分かりきっています。少なくとも、今日の前半のような試合をしていれば、痛い目を見ることは間違いないでしょう。
 そうならないようにするためには、これからが勝負。「チーム全員」でもう一度腹を括り直す必要がありそうです。

2006年10月26日

秋の関関戦

 「関関戦」は、紛れもなくライバリーゲームです。アメリカでも多くのライバリーゲームがあり、例え大きな戦力差があるチーム同士のゲームでもその多くは接戦となる、という話を聞いたことがあります。
 事実、関大がDiv.2にいた頃から春の総合関関戦では接戦の連続。ましてや、相手は戦力も充実し、この数年連続で3位を確保している今や強敵と言わざるを得ない相手。簡単な試合にならないことは目に見えています。
 今年の春の関大戦は、僕らは連敗中で雰囲気は最悪。そのような中でどのような試合をすることができるのか、そして、その試合の中からどのようにして上昇気流に乗っていくのか、ということが課題の試合でした。
 「高く飛ぶためには、一度しゃがまなあかんねん!」
 春の関関戦前のウォーミングアップ中、ハドルで柏木が言い放った言葉ですが、春の関関戦では上昇のきっかけにはなったものの「飛ぶ」とまではいきませんでした。
 それ以降もしゃがんだり立ったり、充分にスクワットの量はこなしてきたと思うのですが、爆発的なジャンプは未だに見せられていません。
 その爆発的なジャンプができたとき、今年のFIGHTERSはもう一段も二段も高く上れると思うのです。
 ということで、これからのゲームで「飛ぶ」ことができるかどうか、是非ご覧下さい。

 第5節・関西大学戦まで「あと3日」

2006年10月17日

燃え尽きとは違うけれど

 多くのコメントを頂いて、大変励まされております。

 近畿大学戦、勝つには勝ったものの、今ひとつ感が残る試合でしたね…。
 スタッツを見るまで全く実感が無かったのですが、4Qにパントを蹴るまで全てのオフェンスシリーズで得点していたみたいです(前半は全てTD,後半は2回のFG)。が、ディフェンスの長さ(1st-Downを13回も更新された)もあってか全体的に空気が重い試合でした。
 近大は、僕らとの試合まで3連敗ではあったものの、能力的には間違いなく高い。監督も練習中に「絶対になめてかかるな」と強調していましたが、スタッツはそこまで差がついていない、内容的には接戦になる要素の多い試合でした。ターンオーバーの分だけ差がついた、ある意味ラッキーな要素の多い勝利と言って良いかもしれません。
 サイドラインに関して言えば、必要な声の伝達が全くできていない。Expo Flash Fieldは観客席も近く応援を身近に感じられる一方、サイドラインの声が伝わりづらいのでいつも以上に伝達の声の復唱・中継が必要なのですが、まったくと言ってよいほど声の復唱がされず、チームが再びバラバラになりかけているかのような危機感すら持つ必要がある状態でした。
 春シーズンの再来、という感じでしたね。何回かのビッグプレーでモメンタムを引っ張って来れたのであまり目立たなかったものの、致命傷になりかねない空気感が漂っていました。
 京大戦後の過ごし方はそこまで悪くなかったと思うのです。練習でも声は出ていたし、「燃え尽き」のような症状が出ることをみんなで防ごうとしていました。ただ、練習が何に向けての練習なのか、京大戦前の練習に比べて目標が一つボケていたように感じることも事実で、やはり、練習で明確な目標が共有されていないと、「盛り上げる」だけでは試合には全く繋がりようが無い、ということが再確認されましたね。
 具体的に言うと、京大戦前は「殺されるかのような」恐怖感をチーム内で共有できたから良い練習ができたのに対し、「京大前と同じようにやろう」という漠然とした呼びかけしかできなかったこと…とても悔やまれます。近大戦に対してチームでは何を目標にしてやっていたのか…。
 それを確認して問いかけて、というのが僕の役割なんですけどね…。全然ダメです。
 次の関大戦、彼らは毎年「春の関関戦」以上に「秋の関関戦」に照準を合わせてきます。そんな彼らに対してチームとして何を目標とし、何を共有して試合に望むのか。それを確認しながらあと12日を過ごしたいです。

「第5節・関西大学戦」まで「あと12日」(10月17日現在)

2006年10月12日

お詫び<前々回の日記について>

 前々回の原稿について、チーム内外を問わず、多くの方からお叱りを受けました。
 特に、チーム内部のコーチやスタッフからの指摘は、FIGHTERSそのものやFIGHTERSの積み重ねてきたものに対する僕自身の考えの浅さを浮き彫りにすることとなりました。
 スポーツの本質として、相手に対する敬意は不可欠のものです。また、試合を迎えるまでの準備の段階はともかく、対戦相手に対する激しい感情を試合後に引きずることや、ましてや自分たちが破った相手を貶めるような発言をすることは絶対に避けるべきことでした。
 FIGHTERSがその歴史の中で大切にしてきた精神性や美徳について僕自身は理解しているつもりでしたが、実際にはあのような原稿をFIGHTERSのオフィシャルサイト内に与えられたメディアで書き、結果的に京都大学や京都大学のファンの方だけでなく、ファイターズやファイターズを支えてくださっている方々、さらにはスポーツを愛する人たちの心を踏みにじってしまったと反省せざるをえません。また、冷静に改めて自分の文章を読んでみると、勝ったことでの「驕り」ととられても仕方のない内容が多く含まれていたと思います。
 このブログは、前回の原稿にも書いたとおり、僕の内面を記事にすることを通じてFIGHTERSの内面をより多くの方々に知っていただきたくて書いているものです。しかし、その執筆を担当している僕自身がFIGHTERSのあるべき内面を体得できていませんでした。
 今はただ、「FIGHTERS」の看板を背負って浅はかな文章を世に出してしまった罪悪感と、その結果に対する自らの責任の大きさに只々呆然とするばかりです。正直、このことに対してどのように対処すれば良いのか分かりません。
 しかし、僕自身がこの件によって足を止めてしまうことでチームそのものの動きを止めてしまうことが、今僕自身が最もすべからざる行為であることも確かです。ですから、少なくともこれからの数日間は次戦の近畿大学戦に向けての準備に集中したいと思います。
 これは今の僕が書くべきことではないかも知れませんが、FIGHTERSには、僕のような浅はかな考え方ではなく、FIGHTERSの伝統に照らしても誇れるであろう「FIGHTER」が今もいます。そのような「FIGHTER」達へ、今後も変わらぬご支援、ご声援を与えてやっていただければ幸いです。
 最後になりましたが、改めてこのブログの読者の皆様やファイターズを応援してくださる方々に、心からの謝罪の念をお伝えしたいと思います。前々回のブログは削除させていただきます。
 そして、今後もこのブログに僕が新たな原稿を書き込むとすれば、その内容が「FIGHTERS」の名に恥じないものであるか否か、目を光らせていただければ幸いです。

2006年10月06日

「自然体」で臨むということ

 FIGHTERSはしばしば、「切り替え」の下手なチームだと言われます。一昨年の、リーグ戦で立命に勝利した後の京大戦などはその典型で、立命戦に集中したメンタルを、チームも個々の選手も次の試合に向けて「切り替えられなかった」からこそ、あのような結果になったのだとよく言われます。
 事実、その通りでしょう。あの試合に関しては、チームの中に「燃え尽き」の傾向が色濃く、次に向かおうにも向かいきれない違和感を当時2年生の僕自身も感じながら、いつの間にか負けていました。
 でも、なぜ「燃え尽き」の症状が出てしまうのでしょうか?
 それは、普段準備していない、全く慣れていないレベルまで急に熱くなってしまい、心身ともに疲れ果ててしまうからでしょう。逆に言えば2年前の立命戦はそのレベルでなければ勝負にならない程の差があったとも言えると思いますが、少なくともあの試合に対する準備は当時のFIGHTERSの「自然体」ではありませんでした。
「熱くなるのは構わないが、頭に血が上るほど熱くなったら負ける。『自然体』でなければ何も良い結果は出ない。」京大戦前に監督に言われた言葉ですが、それは練習でも同じこと。(技術的なことはともかく、メンタル的なことに関しては)夏の練習まででしていないことをいきなり秋シーズンの練習でやりだした所で上手くいく道理はありません。
 2年前の立命戦も、チームの考え方が急に変わったとは思いません。しかし、その表現方法がそれまでとはあまりにも違っていた気がしてなりません。さらに、立命という強い相手とやるのだから盛り上げなければいけない、強い相手とやるのだから「厳しく」しなければいけない、というどこか受身の変え方だったような印象を受けてしまったのも、どうやら僕だけではないようです。
 あの試合の前の練習は、2年生のスカウトチームながら、チーム全体が一つのものに向かっていく一体感や、その中で自分の役割というものが明確に与えられた喜びというものが大きなモチベーションになっていたことが思い出されます。しかし、何か新しいものが「急に」盛り込まれたようなそんな違和感と、試合が終わった後の達成感と空虚感を少なからず受けたことが、今の立場になってより根の深い過去の失敗として思い返されます。「自然体」で試合に臨むことがどれほど重要なことか、僕らがあの2年前の2試合から学ぶべきことは限りなく大きいと思えてなりません。
 その点で、今年のチームは「厳しさ」という点では少々物足りないのかも知れません。しかし、「個々の想い」がチームを引っ張っている点は、今までと(もちろん2年前とも)何も変わりません。
 今になって新しいことを始めるよりも、僕らの今の「自然体」そのもののレベルを上げていきたい。そのことに集中していけば、きっと残るあと4戦も一戦一戦乗り越えていけると思います。
 最後にもう一つ、よく「足元をすくわれないように」とのご忠告を頂きますが、もはや関西学生リーグの各チームに「足元」と表現できるような地力の差はありません。逆に、「足元」をすくわれないようにしさえすれば最終戦に全てをかけられた時代から今のような混戦のリーグの時代に移り変わったからこそ、「自然体」の重要性はより一層高くなっていると思うのです。

 第4節・近畿大学戦まで「あと8日」(10月6日現在)

2006年10月04日

「最後」の関京戦を終えて思うこと<10/12削除>

<お詫び>
この日記については内容が不適切であったため、10/12をもって削除させていただきました。
理由については10/12の日記をご覧下さいますようお願い申し上げます。

ファイターズオフィシャルホームページ管理者

2006年09月29日

"FIGHTER" + "S" = "FIGHTERS"

 ポスターの文字を見ていてふと思ったこと。
 「FIGHTERS」という言葉は、【FIGHTER】の複数形です。今、部員一人ひとりが各々「FIGHTER」になれているでしょうか?
 「Gangsters」という言葉の意味を調べてみました。【Gangster】とは、「ギャングの一員」という意味であるそうです。【Gang】とは、「暴漢・強盗」の意味で彼らはおそらく言葉の通り、得点を、ボールを、そして僕らの持っている全てを、組織としての「Gang」ではなく、個々の「Gangster」として『強奪』しにくることでしょう。
 僕らが「FIGHTER」として、それこそ文字通り僕らを「殺し」にくる彼らと戦う準備ができているのか、「FIGHTERS」に属する一員ではなく、個々の「FIGHTER」として彼らに立ち向かえるのか、問い直して試合を迎えたいし、迎えなければ勝てないと思います。

 短くなりましたが、今日はこの辺で。

 第3節・京都大学戦まで「あと2日」

2006年09月23日

「激しさ」と「安全」の両立

 何もマネージャーに限ったことではありませんが、スタッフの役割の一つに、チームや選手をひとつ外からの視点で見ながらコントロールすることがあります。これは決して会計業務や渉外業務など部室(事務所)での仕事に限ったことではなく、練習や試合のフィールドにおいても同じことが言えます。
 例えばスキルの練習中、選手本人や選手間同士で課題を見つけていくことは当然行うべきことですが、そこにマネージャーが選手とは別の視点で何かしらの確認や指摘ができれば、その選手やパートはより高いレベルへと到達しやすくなるのではないでしょうか?
 戦術やテクニックに踏み込んだ話はできないにしても、春先から1年を通じて強調されるファンダメンタルなどはマネージャーが長期にわたってみることで変化を捉えて指摘することは十分に可能でしょう。また、反則などは(一定の知識さえつければ)審判員と同じ視点からプレーを見るという点において、選手よりもむしろマネージャーの方が確認や指摘を行いやすいのではないかと思います。
 練習には留年生も含めてコーチが多数参加していますし、コーチや選手ほどの知識を持たないスタッフがそのような指摘を行うことに、初めは若干の抵抗をもつ者がいることも事実です。特にフットボールのプレー経験の無いスタッフは、プレーに対する理解の無さからかどうしても尻込みしてしまいがちです。しかし、たとえ練習参加が初めての1年生スタッフであっても、確実に見ることができるチェックポイントがあります。それは、
「笛が鳴るまでプレーしているか?」
「笛が鳴ったらプレーをやめているか?」
という2点です。
 「笛が鳴るまでプレーする」ということは必ずプレーを「Finish」させるという基本を植えつけるためにも絶対に必要です。例え初めに自らに与えられた役割をやり遂げたとしても、オフェンスであれば次にブロックするべき相手を「笛が鳴るまで」探してブロックし、ディフェンスであれば何かが起きても自らが最後はタックラーになるべく「笛が鳴るまで」走り続けることは、フットボーラーとして戦う姿勢そのものでもあります。FIGHTERSがそのような「戦う」チームを目指す以上、このことは学年や役割に関係なく求め続けていかなくてはなりません。
 「笛が鳴ったらプレーをやめる」ということもフットボールをスポーツとして成立させるために欠かすことのできない重要な要素です。フットボールの最も重要な「ルール」の一つに、「勝負はスナップから笛までの間」というものがあります。それを守らず「レイトヒット(笛が鳴った後のヒット)」をすれば「パーソナルファール」として15ヤードの罰退か、ひどい場合は「退場処分」の対象になります。フットボールがスポーツである以上、そのようなラフなプレーは許されるものではありません。そして何よりも「笛」でプレーを止めなければ、練習・試合に関わらず、力のミスマッチによって重大な事故に繋がる危険性が高くなります。
 練習でそのような怪我人を出すことはチームの戦力ダウンに直結するので避けなければならないのは当然ですが、試合においてもそのような怪我人を出すことはお互いにとって望ましくありません。そもそも、アメリカンフットボールがアメリカで発展してきた過程には「激しさ」と「安全」を両立させることに心を砕いてきた歴史があります。これからフットボールをさらに普及・発展させていくためには、このテーマにずっと心を懸け、多くの人々が持つ「フットボールはとにかく危ない」という一般的な印象を少しでも削いでいく必要があることに疑う余地はありません。
 僕は、激しいコンタクトがフットボールの大きな魅力の一つであることを否定するつもりは毛頭ありません。むしろそれこそが魅力で、僕自身もそれを売りに広報や普及を進めていきたいと思っています。
 「安全」に心を配りつつ「激しさ」を兼ね備えた優れたプレーヤーを多く育て、魅力的なチームを作ることは各チームの責任で当然成されていくべき課題だと思います。僕は、残り少ない現役スタッフとしての日々の間にもFIGHTERSを少しでも魅力的なチームにし、そしてより多くのみなさんにスタジアムで見ていただきたいと思います。そのためにも、プレーの「ON」と「OFF」の切り替えの合図としての「笛」の存在をより強く選手達に意識させるべく、これからも練習のフィールドで「笛」を吹き、プレーやチームをより良いものへとコントロールしていきたいと思います。

関西学生アメリカンフットボールリーグDiv.1
第3節・京都大学戦まで 「あと9日」(9月22日現在)

2006年09月17日

幸田の活躍、向畑のインターセプト

 大産大戦、勝利しましたがとても大味な試合になってしまいましたね…。
 前節、立命館が42対3で勝った相手にどう戦うか、立命館のスコアを上回れるか、ということが1つのテーマでしたが、58対0とスコアとしては目標をクリアすることができたのでひとまずは良かったな、と率直に思います。
 ただ、オフェンスは一発TDが多く、WRがDBを簡単に振り切れなかった場合にこれほどの得点力を発揮できるかどうか疑問であること、ディフェンスは完封したもののファーストダウンを10回も更新されていることなど、まだまだ課題は多いと言わざるを得ない内容です。特に、奪われたファーストダウンの内7回までがランでの更新という結果であり、次の京大戦を考えると…不安ですね、サイドラインから見ていても。
 昨日の試合で個人的に嬉しかったこと、まずは幸田(#12・2年)がQBとして結果を出したことです。加納と同じ学年でいろいろと悩むことはあったと思いますが、これで自信をつけてQB争いをもっとぐちゃぐちゃに掻き回してくれると、チームとしてはもっと強くなっていく要素が増えると思います。それにしても、彼が3番手のQBとはなんとも贅沢な話ですね。
 そして、一番嬉しかったのは、試合終了間際の向畑(#17・4年)のインターセプトリターンタッチダウンです。彼は今、スターターや2枚目のチームの練習台になる「スカウトチーム」に所属して下級生達と一緒に試合準備の屋台骨を支えています。大差がついて試合の大勢が決まり、第4Qの終盤にはスカウトチームの4年生が試合経験の少ない下級生に交じって試合に出場する機会を与えられていたのですが、その中起こったビッグプレーに僕自身も役割を忘れて喜んでしまいました。正直な話、涙出ました…。
 しかし、僕を始めとした4年生が次のP.A.T.を忘れて喜んでしまったために、P.A.T.ではミスが出て失敗してしまいました(記録は#16浅海(1年)の2ポイントコンバージョン失敗)。目の前の1プレーに集中しようと言いつつ、あのようなミスをしていてはまだまだ今年の4年は甘いと言われても仕方ありません。浅海が膝をついた瞬間、ビデオで見た97年の甲子園を思い出しました…。これを教訓に、この先は絶対に1プレーたりとも集中を切らさないように気持ちを引き締めないと、もし接戦でやらかしてしまったら致命的な1点になりかねません。去年の立命戦は(2ポイントの失敗2回分とは言え)P.A.T.キック2本の差で敗れているわけですから、P.A.T.の重要性は再認識しないといけません。
 まあ、言い訳させてもらえるなら、(もちろん他のスカウトチームの4年でも同じようなことになったと思いますが)向畑のプレーだからあそこまで喜べた、ということでしょうか。実際、チームエリアの端っこに集まっていたのはほとんどが4年だったように思います。みんな、向畑の「泥臭い」「不器用な」取り組みを見てきたからこそ、あそこまで喜んで集まったということでしょう。
 何はともあれ、次の京都大学戦に向けて、彼らの独特な「異常に低く深い」ブロック、「異常に低くえぐい」タックルに対抗するためには、彼らスカウトチームが練習で同じようなプレーでマッチアップし、試合に出場するメンバーに慣れさせるしか方法がありません。
 向畑のあのプレーで、これからのスカウトチームがもっと盛り上がってチーム全体を押し上げ、引っ張り上げてくれるようなことになれば、チームにとって彼のインターセプトには「6点」以上の価値が出てくることでしょう。そして、その価値の大きさを決めるのは、彼らスカウトチームの取り組みはもちろん、それを受けて対戦の矢面に立つ試合メンバー達の出す結果次第です。
 彼らにこれから先、同じような出番があるかどうかは分かりません。それでも、彼らは試合メンバーが試合でより良い結果を出すために、そして、彼ら自信が持つチームや対戦相手に対する想いを試合メンバーに託すために、彼らの全力を練習のフィールドで出しつくしてくれるでしょう。
 このブログを読んでくださっている皆様には、彼らがそのように影でずっと努力し続けた結果があのような表舞台での結果につながったこと、そして、名前を知られたスターター達の活躍の陰には彼らスカウトチームの存在があることに、これを機に少しでも目を向けていただければ幸いです。

第3戦・「関京戦」まで、「あと14日」(9月17日現在)

2006年09月05日

課題の多い勝利

 応援Projectは、おかげさまでまずまずの滑り出しです。今後も飽きることなく続けていきますので、ますますのご協力とご声援をよろしくお願いします!(担当マネージャー一同より)
 
 初戦の神戸大学戦は40対10で勝つことができました。
 しかし、試合でできることは練習でできたことだけ、という言葉どおり、練習で詰めきれなかった部分は試合で詰めきれている訳がありません。記録に残ったものから記録にならなかったものまで、いろいろなミスが出るわ出るわ。正直、展開に助けられた部分も大きかったと思います。
 神戸大学は一度乗せてしまったらどこまででも突っ走ってしまう怖さのあるチームということで、試合前日までに
@彼らを流れに乗せないこと
ということはもちろん、
A彼らの流れに呑み込まれないこと
Bもし呑み込まれかけても、それをブレイクして自分たちへと流れを引き戻すこと
をシミュレーションし、何人かの4年生とも話をして試合当日を迎えました。
 「経過や結果に関係なく自分のベストを出そう」と確認して前日の練習を終えましたが、いざ結果が出る段階となると怖くなるものなのですね。睡眠時間もそこそこは取れましたし、寝覚めも決して悪くなかったのに、いざ起き上がってみると気分が悪いの何の。時間的に余裕のある8時頃に目が覚めてから1時間程ゴロゴロとしているうちに落ち着いてきましたが、もしも起きた直後に試合会場へと向かうようなスケジュールだったらどうなっていたことやら。夕方の試合で本当に良かったです…。
 試合としては彼らが流れに乗ってしまうような展開にならなかったことが大きかったと思います。
 最初のオフェンスシリーズでTDを取れたこと(このTDはスポッター用のケーブルが絡まってしまったのを解いていたので見ていません。スタッフとしてはよくあることです。)ももちろんなのですが、神大にTDを取られた直後に萬代のキックオフリターンTDで突き放せたことが「流れ」の上では大きかったと思います。特に、春はキッキングでの課題がチーム全体を重苦しくさせていた部分もあったので、あのTDで何となくですが少しは明るい兆しは見えた気もします。
 しかし、これはあくまでも「展開に助けられた」ということを絶対に忘れてはいけないと思います。事実、神大にTDを取られたシリーズ中は、春の連敗中ほどではないにしても声が出にくくなってきていましたし、もし彼らに流れが行ってしまっていたら取り返すことができていたかどうか。常にサイドラインの雰囲気を盛り上げて、ビッグプレーが無くても、さらにはまずいプレーの後であっても、自力で流れを引っ張り込めるようにしなければいけないんですけどね…。キックオフリターンTDがなかったらどうなっていたことやら。
 パートによっては何かプレーに問題があると、その場で分析と反省を始めてしまうような、ある意味真面目な一面が逆に災いしている気がします。何も全員が反省を始めなくてもいいような気がします。もちろん、シリーズ終了後にベンチで確認・修正するためにもその反省は必要な作業であることは間違いないのですが、もう少しその場での雰囲気作りであったりサイドラインからのサポートであったりが必要だと感じています。
 さらに、神大が流れに乗り始めたのがハーフタイム直前だったことも僕らには助けになりました。ハーフタイムを挟んでサイドラインの雰囲気を含めて立て直すことができたことを考えると、ハーフタイムで流れが切れたことは大きかったと言わざるを得ません。
 何しろ「リーグ戦」とは言うものの甲子園ボウル出場権奪取のためには全勝以外は許されない「トーナメント」のような戦いが続いていきます。
 目標ははっきりと見定めつつ、かつ目の前の足元も確実に踏みしめて、春の二の轍だけは絶対に踏まないように。まだまだ修正すべき課題は多いのですが、チームそのものの「Unity」をより強力に作り上げて、あと6戦を一戦一戦を勝ち抜いていきたいと思います。
 「Fighters Unity」のみなさんも一緒に突っ走っていきましょう!!

 第2戦・大阪産業大学戦まで、「あと11日」(9月5日現在)

2006年09月02日

試合前の祈りという伝統

 得るものがあれば、失うものもある。でも本当は全部欲しい。無理は承知しつつ、わがままなことを口にしてみる主務・神林です。
 旧グラウンド跡地で新校舎建設の工事が始まりました。
 高いフェンスが築かれて瓦礫や土が積み上げられた旧グラウンドを見ると、「大切なもの」を失った寂しさを禁じえません。ましてや新フィールドを使用する以前のOBの感情は、僕が想像できるものではないのでしょう。今までのFIGHTERSを数十年間築き上げてきたグラウンドは、すでに「グラウンド」ではなくなってしまいました。とあるコーチが寂しそうな目でグラウンドを見ていたのが、とても印象的でした。
 伝統とは現役に何かを与えるものではなく、現役が新たに継ぎ足して行くだけのものでしかない、ということは常々言われることです。
 旧グラウンドを離れ、新フィールドに移転して初めてのリーグ戦を迎えるにあたり、新チームのスタートから今までずっと手探りのまま来てしまった感があります。春季シーズンでトレーニングに重点を置いたことや人工芝へと環境が変わったことによるものも含め、これまでの年間の「ルーティーン」を離れたスケジュールを進めることに、選手もスタッフも戸惑いながら、手探りの半年間だったと思います。
 しかし、それは「伝統」に縛られない新たな試みの半年間でもありました。その中で成功も、もちろん失敗もありました。そして、「伝統」に照らしてその成果と僕達自身の成長が試される7試合が目前に迫りました。
 FIGHTERSに所属する以上、「伝統」に照らされることは避けられないことです。しかし、それに縛られないように、むしろ打ち勝つように、自らのモチベーションを保つことは、時に大きな苦痛や困難を伴うものでもありました。その中で無為な時間を過ごしたことも、正直に言えば数多くありました。
 「自分の『神』を持っている奴はいるか?」
 監督が練習後のハドルで部員に問いかけたことがあります。いわく、人が見ていないからといって手を抜くことは無いか?自分の弱い部分が顔を出した時に、自分を踏みとどまらせる「内面からの声」を発する何かを持っているか?と。
 誰も見ていなくても「神」は見ている、そして、その結果は必ず自分に返ってくる。そう思えば絶対に手を抜けないし、抜かない。信心深さとは別にそのような「神」を自分の中に持っておけ、という話でした。
 また、目に見えるものを全てだと思うな。自分の目に見えていないものの中に本質があることも多い。そのようなものにも目をむけよ、ということでもありました。
 僕らが試合前に行う「お祈り」もそのような自分自身の「神」への問いかけを通じて「戦いへの決意と覚悟」を固める場です。関学がキリスト教の学校であるためお祈りもキリスト教の形式に則って行いますが、「自分の中の神」に照らし合わせても問われることは同じだ、という考え方によるものです。「神」という言葉に抵抗があれば、「真理」と置き換えても良い、とも。
 「僕自身が『僕自身の神』を納得させられるだけの準備をしてきたか?」
 「僕自身が『僕自身の神』に誇れる戦いをすることができるか?」
 この原稿を書きながらいままでを振り返っても、先に思い浮かぶのは失敗や後悔。胸を張れない部分があることも事実です。しかし、一つはっきりと言えることは、僕自身が誇れる戦いをすることで「僕自身の神」を納得させていくしかない、ということです。そして、必ずそれを成し遂げる、ということ。
 前回も書きましたが、神戸大学戦は決して楽な戦いにはならないでしょう。当然、劣勢に立つこともあるでしょう。その時にどれだけ流れを呼び込めるか、ということは、部員一人一人が「自分自身で」呼び込む流れの集まりでしかなく、チームでは呼び込めないものです。
 松本前主将が今年のイヤーブックに、試合は『生き様を表現する場』と書いていますが、この試合でもそのような場面で僕たちの「生き様」が顕になるのでしょう。それを受け入れる覚悟は決めました。それがより良い結果として現れるように、もう少しだけもがいてみようと思います。

初戦・神戸大学戦まで、「あと1日」(9月2日現在)

2006年08月25日

「死ニ方 用意」

 コンビニで買った「ピルクル」の賞味期限が9月3日でした。
 こんにちは。リーグ戦の試合日(の日付)に過剰反応する主務・神林です。怯えている訳ではありません。決して。たぶん…。
 いよいよリーグ戦開幕まで10日を切りました。僕ら4年にとっては終われば引退の、最後の秋シーズン。否が応にも緊張感は高まります。4年生同士の会話にも、そのような空気が混じるようになってきました。
 先日、4年のとあるスタッフと昼食を摂りながら話していた時のこと。同様に会話は自然とリーグ戦に向けての話になりましたが、その中で突然彼は僕に聞いてきたのです。
 「引退する準備、できてるか?」
 あまりの唐突さに、僕はまともな答えを返すことができませんでした。「いや、できてへんわ…」と、何かはぐらかすように答えて、会話はまた元の、チームについての話や仕事上の話に戻っていきました。しかし、彼の問いは非常に深く、今も僕の頭から離れることはありません(聞けば、彼もまたとあるOBから同じことを問われたとのこと)。「引退する準備」とは何なのか。それは、一言で言い表すことはできないのかもしれません。
 このことを考えていて、ふと思い出したシーンがあります。それは、映画「男たちの大和」の「死ニ方 用意」の場面。正月に映画を見たときも何となく予感はしていましたが、ここに来てやはり繋がってきました。
 あのシーンは「大和」の沈没の前段階という前提で見ているからこそ悲壮感のみが漂う場面のようにも見えますが、作中の説明によれば、どのような戦いでも彼らは「死への準備」を終えてから決戦に挑むのだそうです。戦いを前にして腹を決めるための儀式(と言っていたような気がするのでその前提で話を進めます)を済ませて決戦に挑むからこそ、戦場で腹を決められるのだ、と。
 僕にはあのシーンが、特に大試合前のそれまで見てきた4年生の姿に重なって見えて仕方がありませんでした。そして、その立場にとうとう、僕自身が立とうとしています。
 もちろん、戦争に勝っても自分は命を落とすかもしれない兵士と比べ、僕らは試合に負けても命まで取られるわけではないので、まるっきり「分かる」と言い切ってしまうことはできないかもしれません。が、7試合しかないリーグ戦で1敗することは、「甲子園」を目指す上ではほぼ「死」を意味するものです。「負けることを受け入れなければ勝負に挑むことはできない」とは大きな試合前に監督やコーチが長年言い続けていることですが、負けて悔いの残るような「準備」しかできていないのであればそれは、戦場で腹を決めることができない非常に弱い兵士である、ということになるのではないでしょうか。
 僕は負ける前提で話をするつもりは毛頭ありません。
 しかし、「負けても悔いが残らないような試合ができれば勝てる」ことも事実です。負ければ必ず悔いは残ります。そして、悔いは必ず、「あの時もっと…していれば」という思いから生まれることも確かです。
 僕らの「死ニ方 用意」とは、そのような後悔の芽を試合までに摘みきってしまうことではないでしょうか。そして、試合で「華」を咲かせるためのあらゆる種を全て蒔ききってしまうことではないでしょうか。
 初戦で対戦する神戸大学は、初戦に向けての「準備」がとても上手いチームです(昨年も京都大学を劇的な逆転で破っています)。また、後先考えずに目先の試合に全てをぶつけてくるチームです。
 見方によってはやぶれかぶれなようにも見えますが、彼らはずっと僕らを「殺す」ための準備を重ねてきているはずです。「自分を殺しに来る者に勝つには相手の息の根を止めるしかない。」小手先でいなして勝った気になっていては、何度でも僕らを殺すために立ち上がってくることでしょう。ひょっとすると、小手先でいなすだけの間合いすらも与えてもらえないかもしれません。
 そんな彼らを打ち破るべく、僕らは僕らなりの「死ニ方 用意」を済ませて初戦に望もうと思います。

初戦・神戸大学戦まで「あと9日」(8月25日現在)

2006年08月20日

大人ではなく、子供でもない

 男は泣かないもの、というある種の固定概念を持って育ってきた僕にとって、このチームの涙の頻度はいささか多いように感じました。但し、それは僕が下級生の頃の話…。
 概念はともかく、涙腺の弱い主務・神林です。別にそれが悪いことだとも思っていません。詳細は以下にて。

 今回の夏合宿も例に漏れず、多くの涙を見ることとなりました。
 「泣く」という行為は、ある種とても本能的な、ともすると理性的ではないものという捉え方をすることもできると思います。簡単に言ってしまえば大人ではない、子供の行動である、と。しかし、大人とはどういう意味なのだろうかと考えた時、僕はその意味で大人である必要は無いという結論に至ったのです。
 FIGHTERSが信頼で成り立つチームだということは、合宿前にここに書いて出かけました。
 それと並立する、FIGHTERSのもう一つの芯があります。それは、「部員各々の感情」がチームの原動力である、ということです。誰に強制される訳でもない、部員各々のビジョン、イメージ、そして意志がまとまってFIGHTERSを突き動かしているということです。
 そのように感情を動力としてチームに伝えてゆく時に、果たして理性的な抑制は必要なのか?それを考えた時、出る答えはNOになります。
 もちろんだからといって本能の赴くままに行動して良いわけがありません。社会の一構成員として常識的な行動を取るためにも理性は必要です。ただし、ことフットボールに関しては感情を抑えても良いことは無いと思っています。そもそも、日本一を話し合いではなく実力の優劣で決めようと言うのですから、大人の取り組みでそれを勝ち取ろうということ自体が無理な話なのではないでしょうか?
 フットボールをする以上、誰しもが勝ちたいと願っているはずです。その中で負ければ当然悔しい、もっと上手くなりたい、強くなりたい、様々な感情が湧き上がってくるはずです。その感情を自分にぶつけることで、自らの成長の糧になることでしょう。
 一方、チームの仲間がミスをすれば、許せない。試合に出るであろう仲間が実力的に不足していれば、足りるまで認められない。自分が勝つために、仲間にはそのままでいてもらっては困る。そのような感情は、その仲間にぶつけることになるでしょう。この辺りは前回も書きました。その感情は仲間にぶつけることで、仲間の成長のきっかけになることでしょう。
 このような感情を隠すことなく表面に出していれば、悔しさ、情けなさ、一方では喜びなど感極まって泣く者も出ますし、喧嘩のようなものが起こるときもあります。しかし、繰り返すようですが、それがいけないことだとは全く思いません。むしろ、そのようなものを表に出して腹の底まで見せ合った仲だからこそ、秋の大一番で一緒になって闘えるのだと思います。「大人」になって落とし所を探りつつチームを作っていては、きっと最後の最後に完全な「信頼」でチームが一つになることはできないと思います。
 とは言うものの、普段から全ての感情を出し合って練習をしているのかと言われればそれは難しいところです。当然効率も求めますし、日常生活の中のフットボールでは何かと気を使う場面が多くあります。夏合宿はそのようなしがらみから離れてフットボールに集中できるからこそ、そのような感情を各々が全てさらけ出すことができるし、全員が安心してぶつけ合うことができるのだと思います。それが、夏合宿を越えるとチームも人も変わると言われる由縁なのでしょう。
 そのような意味で、今回の夏合宿は何かもやもやしたものを抱えていた多くの部員が感情を表に出すことで何かを掴むことができた、良い合宿だったと思います。
 神戸大戦までいよいよあと2週間。あとはリーグ戦に耐えられるチームに仕上げていきたいと思います。大人のように客観視するでもなく、子供のように無秩序でもない、そのようなチームを作って挑めれば最高です。

2006年08月10日

スマートさと根性論(夏合宿を迎えるにあたり)

 曲がりくねった山道を登る、5台の貸切バス…。目的地が近づくにつれ重苦しく静まり返るバス車内…。誰もが恐れる夏合宿、毎年の恒例行事が、今年もやってきました…。
 こんにちは。準備で怖がっている暇すら無かった4年マネージャー・神林です。ちなみに、バスを降りるとみんな急にテンションが上がります。それも恒例ですのでご心配なく。
 さて、FIGHTERSというと、「スマート」なチームだとイメージされる方が多いように思います。かく言う僕自身も、このチームに入るまではそうでした。しかし、この時期のFIGHTERSは、「スマート」とは程遠い非常に泥臭い集団です。中にはただの「根性論」だと思われても仕方が無いような部分も含まれています。
 部員の中には、「根性論」というものに嫌悪感を示す者もいます。逆に、「根性論」が好きで仕方が無いかのような者もいます。しかし、それはどちらも本質ではありません。この「根性論」について書いてから、合宿に行きたいと思います。
 そもそも、FIGHTERSは「根性論」そのものに意味を見出すチームか否か。僕はNOだと思っています。ただ、根性論と思われても仕方が無い部分があります。何故でしょうか?
 それは、チームメイトに「信頼」に値する「結果」を求めるからです。
 FIGHTERSは「信頼」で成り立つチームです。試合に出る選手・そうでない選手、そしてスタッフ、全ての部員がそれぞれの役割を持ち、その役割に対する「信頼」を互いに持つからこそ、強いチームが作れるのだと僕達は考えます。その「信頼」を与えるにはその仲間が物足りなかった時、相手に対して怒ります。そして、「信頼」に足るだけの結果を求めます。
 求められた側にとって、しばしばそこは「根性」ででも結果を見せなければならない場面となります。そこで結果を出せた者はその場面で殻を一つ破り、その場で結果を出せなかった者も結果を出すためには何が足りないのか、それこそ必死で考えることで例外無く成長に繋がります。
 つまり、本質的に求められていることは「根性」ではなく「信頼されること」であり、これを見失うととんでもない過ちを犯す可能性がある、ということです。
 FIGHTERSでは、合宿に入ることを「山に登る」、合宿から出ることを「下山する」と表現することがあります。また、合宿の前後には今僕らが生活している普通の環境を「下界」と呼んだりします。そのような表現が自然に使われる隔離された環境の中で、フットボールへの高い集中度をより保ちやすくし、自然と仲間への要求と自分への要求度を確認することと、そのレベルを上げていくことが合宿で求められていることです。
 もし、秋のリーグ戦で僕らの試合がスマートに見えたとしたら、僕らの考えるこのような取り組みが成功したのだと思っていただいて間違いないはずです。
 では、行ってきます。

 初戦・神戸大学戦まで「あと24日」(8月10日時点)

2006年08月06日

今更気付くFIGHTERSの強み

 前回、FIGHTERSの初代マネージャーの橘高さんの「経営者」としての姿にマネージャーの『原点』を感じた、という所まで書きました。それにより、何かに気付くことができた、ということも書きました。
 でも、それが何かここで書け、と仮に言われたとして、明確に文章にする自信はありません。それはあくまでイメージであって、僕はそれをはっきりと理屈にまでまとめきれていないからです。
 現在のFIGHTERSには学生ではない4人のディレクター陣がおり、チームの最も大局的な動きにまでは学生のマネージャーが関わっていない現状もあって、今橘高さんと同じ内容のことができるかといえば無理ですし、必要があるのかといえば必要はありません。だから、橘高さんの行動をなぞることが今のFIGHTERSに役立つとも思えません。また、チームを取り巻く社会も複雑化し、規模も大きくなった現在のFIGHTERSを学生のみが切り盛りすることは、あまりにもリスクが大きくなるのみでメリットが少ないように思います。
 やはり、橘高さんから受けた「何か」は、経営者としてのマネージャー像やチームの礎としての橘高さんの存在にありそうです。
 思うに、橘高さんはおそらく、FIGHTERS(と当時は呼んでいなかったと思いますが)を様々な面でより良いチームにするだけのために奔走していた。それはきっと、愚直なまでに真っ直ぐな気持ちだったのだと思います。そして、その気持ちの結果がFIGHTERSを高みに押し上げ、FIGHTERSのマネージャーの地位をも押し上げ、橘高さんはFIGHTERSのルーツとまで言われるようになった。そう思います。
 僕は逆に、そのマネージャーや主務という地位に囚われて身動きが取れなくなっていました。でも、橘高さんという『原点』に触れた今、僕がするべきことはマネージャーや主務という立場によって決まったものではなく、立場の役割と平行して僕自身が僕自身の意思で決めていくことなんだと、今更ながらに理解できた気がします。
 元々頭で分かっていた考えと何も変わっていなくても、自分自身で納得すれば考え方や行動への反映のされ方は全く変わってくるということを、僕は今回身をもって感じることになりました。これは、僕自身があと半年FIGHTERSの現役として生きていく間だけでなく、その後の人生においても大きな財産となりそうです。納得しても自分自身で飲み込みきれない何かがある時、その裏づけとなる何かを探せばいい。僕にとってその裏づけは、橘高さんでした。このことは、あとから考えるとすごく単純ですが、僕自身は最近までそこには行き着けませんでした。
 でも、気付いてから見回すと、FIGHTERSには僕らの背中を押してくれるものや人がたくさん存在します。もちろん、中には人それぞれ、どう考えても合わないものもあるでしょう。それでも、それを捨て置いてでもさらに探せば、自らに合うものは絶対に見つかるはずです。この引き出しの多さは、古くからある種の同じコンセプトを貫いてきたFIGHTERSだからこそ蓄えられたものだと思います。この引き出しを使わないのは正直もったいないのだと、今となっては過去の自分の悩みがえらく無駄にすら見えてしまいます。
 ともあれ、今年は今までの4年間の借りを立命館大学に返さなければなりません。このブログを読んでくださっているファンの皆さんもフラストレーションが溜まっていることとは思いますが、僕らも溜まっています。とりあえず今年、1年分は取り返す所存ですので今後ともご声援よろしくお願いします。
 そして、今年のスローガンにある「Unity」を、フィールドやサイドラインだけでなく、スタンドやそのもっと外へと拡げていくことができれば、こんなに心強いものはありません。橘高さんの足元にも及ばない拙いマネージャーですが、今後とも後押し、よろしくお願いします。