2006年08月20日

大人ではなく、子供でもない

 男は泣かないもの、というある種の固定概念を持って育ってきた僕にとって、このチームの涙の頻度はいささか多いように感じました。但し、それは僕が下級生の頃の話…。
 概念はともかく、涙腺の弱い主務・神林です。別にそれが悪いことだとも思っていません。詳細は以下にて。

 今回の夏合宿も例に漏れず、多くの涙を見ることとなりました。
 「泣く」という行為は、ある種とても本能的な、ともすると理性的ではないものという捉え方をすることもできると思います。簡単に言ってしまえば大人ではない、子供の行動である、と。しかし、大人とはどういう意味なのだろうかと考えた時、僕はその意味で大人である必要は無いという結論に至ったのです。
 FIGHTERSが信頼で成り立つチームだということは、合宿前にここに書いて出かけました。
 それと並立する、FIGHTERSのもう一つの芯があります。それは、「部員各々の感情」がチームの原動力である、ということです。誰に強制される訳でもない、部員各々のビジョン、イメージ、そして意志がまとまってFIGHTERSを突き動かしているということです。
 そのように感情を動力としてチームに伝えてゆく時に、果たして理性的な抑制は必要なのか?それを考えた時、出る答えはNOになります。
 もちろんだからといって本能の赴くままに行動して良いわけがありません。社会の一構成員として常識的な行動を取るためにも理性は必要です。ただし、ことフットボールに関しては感情を抑えても良いことは無いと思っています。そもそも、日本一を話し合いではなく実力の優劣で決めようと言うのですから、大人の取り組みでそれを勝ち取ろうということ自体が無理な話なのではないでしょうか?
 フットボールをする以上、誰しもが勝ちたいと願っているはずです。その中で負ければ当然悔しい、もっと上手くなりたい、強くなりたい、様々な感情が湧き上がってくるはずです。その感情を自分にぶつけることで、自らの成長の糧になることでしょう。
 一方、チームの仲間がミスをすれば、許せない。試合に出るであろう仲間が実力的に不足していれば、足りるまで認められない。自分が勝つために、仲間にはそのままでいてもらっては困る。そのような感情は、その仲間にぶつけることになるでしょう。この辺りは前回も書きました。その感情は仲間にぶつけることで、仲間の成長のきっかけになることでしょう。
 このような感情を隠すことなく表面に出していれば、悔しさ、情けなさ、一方では喜びなど感極まって泣く者も出ますし、喧嘩のようなものが起こるときもあります。しかし、繰り返すようですが、それがいけないことだとは全く思いません。むしろ、そのようなものを表に出して腹の底まで見せ合った仲だからこそ、秋の大一番で一緒になって闘えるのだと思います。「大人」になって落とし所を探りつつチームを作っていては、きっと最後の最後に完全な「信頼」でチームが一つになることはできないと思います。
 とは言うものの、普段から全ての感情を出し合って練習をしているのかと言われればそれは難しいところです。当然効率も求めますし、日常生活の中のフットボールでは何かと気を使う場面が多くあります。夏合宿はそのようなしがらみから離れてフットボールに集中できるからこそ、そのような感情を各々が全てさらけ出すことができるし、全員が安心してぶつけ合うことができるのだと思います。それが、夏合宿を越えるとチームも人も変わると言われる由縁なのでしょう。
 そのような意味で、今回の夏合宿は何かもやもやしたものを抱えていた多くの部員が感情を表に出すことで何かを掴むことができた、良い合宿だったと思います。
 神戸大戦までいよいよあと2週間。あとはリーグ戦に耐えられるチームに仕上げていきたいと思います。大人のように客観視するでもなく、子供のように無秩序でもない、そのようなチームを作って挑めれば最高です。
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