
本当は試合直後にブログを書くつもりでした。しかし、なかなか気持ちの整理がつかず、ここまで時間がかかってしまいました。
甲子園ボウルから1か月以上が経った今でも、あの大歓声は鮮明に思い出されます。思い出すだけで鳥肌が立つほど、特別な空間でした。試合前練習を終えた時点で、一塁側スタンドはすでに満員。込み上げてくる感情を抑えきれず、涙が出てしまうほど、いつもとはまったく違う空気感に包まれていました。特に、試合直前の入場の瞬間。先輩方、友人、そしてファンの皆さまからかけられる声援が、一つ一つ確かに耳に届き、背中を押してくれているのを感じました。あれほど心が高ぶり、自分を奮い立たせてくれる瞬間は、これからの人生でも二度とないと思います。試合後、スタンドに向けて挨拶を終えたとき、これほど幸せな環境でフットボールができていたのだと、心の底から実感し、感謝の気持ちでいっぱいになりました。
一度フットボールのことは忘れようと、気を紛らわせて過ごしていましたが、一人でいる時間や寝る前、ふとした瞬間に、甲子園ボウルで立命館大学に負けたあの光景が何度も頭に浮かんできます。目の前でビクトリーフラワーが組まれ、ただ茫然と立ち尽くすことしかできなかった、あの屈辱的な時間。一生忘れることのない、死ぬまで鮮明に覚えている光景なのだと思います。
立命館に甲子園で負けた悔しさは、きっと一生消えることはありません。その悔しさをどこにもぶつけられず、虚無感に包まれた日々を過ごしてきましたが、最後の主務ブログを書くにあたり、この一年間を振り返りながら、4年間の経験を通して、今自分が考えることをここに綴りたいと思います。
今振り返れば、私たちは「負けるべくして負けたチーム」だったのだと思います。 試合直前には「やれるだけのことはやった」と腹をくくっていたつもりでした。しかし、いざ敗北を突きつけられると、さまざまな後悔が頭をよぎりました。
皆さんは、カール・ダイムの詩をご存知でしょうか。この文章は詩の一部を抜粋したものです。
「威張らず、誇りをもって勝て。言い訳せず、品位をもって負けよ。堂々と勝ち、堂々と負けよ。勝利よりも大切なのは、この態度なのだ。」
この詩を読んだときに、「堂々と勝つ」ということはイメージしやすいと思いますが、「堂々と負ける」とは一体どういうことなのかと疑問に思われると思います。引退してから、私はこの言葉の意味をずっと考えてきました。
私は、「堂々と負ける」とは、たとえ勝負に敗れたとしても、言い訳をせず、潔く負けを認め、胸を張っていられるかどうかということだと思います。しかし、大した努力をしていない人間が、潔く負けを認めることなどできません。残るのは表面的な悔しさだけで、到底胸を張ることなどできないからです。血の滲むような努力を積み重ねた者だけが、敗北の瞬間、初めて「堂々と負ける」権利を得る。その境地に向かって限界を決めずに取り組み続けることこそが、歴代のOB・OGの方々が築き上げてきたFIGHTERSの信念なのだと気づかされました。そして、この詩に込められた思い、FIGHTERSがなぜこの言葉を大切にし続けてきたのか。今になって少し分かった気がします。
ここまで長々と書いてきましたが、勝負の世界にいる以上、結局は最後勝たなければいけません。どれだけ取り組み(過程)に自信があったとしても、結果として負けたのであれば、その現実を受け止め、次につなげなければならない。
負けには必ず理由があります。結果、内容、フットボールへの向き合い方、そして一人の大人としての行動。そのすべての面で、私たちは立命館に及んでいなかった。その事実から逃げず、どこまで突き詰めてやり続けられるか。グラウンド内外の細部にまで徹底的にこだわった先に、勝つべくして勝つチームがあると思います。そこに向かってどれだけこだわりを持って取り組めるかが本当に重要なことだと思います。
最後になりましたが、この1年間、どんな時も私たちの味方でいてくださった皆様、最後の最後まで素晴らしいご声援をいただき、本当にありがとうございました。日本一という結果で恩返しをし、自分たちの取り組みを証明したかったのですが、それが叶わず、今はただ悔しくて堪りません。しかし、皆様の支えなしでは、これほど幸せな環境でプレーをすることはできませんでした。あの大勢の観客の前でフィールドに立てたことを、心底誇りに思います。
私たちは昨日のファイターズファミリー壮行会をもって引退となりましたが、これからはOB・OGの一員として現役を支えていきたいと思っております。
どうか、2026年FIGHTERSにも、これまでと変わらぬご支援、ご声援のほどよろしくお願いいたします。
2025年度主務 大竹 皓陽

